日大通信雑記

教員免許の取得のため、日本大学通信教育部(日大通信)の門を初めて叩いたのは2009年の春だった。それから4年ほど経った2013年の10月から、私は再び日大通信に学んだ。

本ブログでは、主に2013年からの学習の記録、思ったこと、感じたことを綴ります。けっこう自分勝手なことも書きますが、何とぞご容赦くださいませ。

東京都教採2次④

2次試験で持参する単元指導計画と面接票。単元指導計画は、USBに入っている前年度のものが、指導していただいた先生からお墨付きを得ていた。だから、これに少し手を加えて持っていこうと思っていたが、毎年1から書かなければならない面接票が課題だった。

お見舞いに来てくれた家族に(まだコロナ前だったので)、パソコンと自宅に届いていた面接票の用紙を病院に持ってきてもらい、コピーを取って下書きを始めた。

しかし、毎年毎年、2次の壁に跳ね返されてきたという現実があったので、同じことを書いていては、結局同じ結果になるのではないか、そんな懐疑的な気持ちは拭えなかった。

そんな時、ふと、ある先生のことが浮かんだ。

前年度まで、同じ学校に勤務されていた、女性教諭のM先生。その年の歓送迎会でお会いした時、試験のことでお手伝いできることがあれば言ってください、と声をかけていただいたのを思い出したのである。

東京都教採2次③

何日か前から、頭痛が時折していた。もともと後頭部に偏頭痛があったのだが、その時の頭痛は、左のこめかみ付近に痛みを感じていた。そして、2次試験の会場を下見するため、出かけた時だった。

駅に着き、ドアに向かおうとしたその時、右足を後ろから引っ張られているような感覚に襲われた。おかしいと思って後ろを振り返ると、座席に座っている他のお客さんの足に自分の足が引っ掛かっていた。いくら何でもこれはおかしい。翌日、病院を受診した。緊急にCT、MRIを撮ると、まさかの事態に。


脳出血。


今まで、他人事のように思っていた病名が、まさか自分のこととして降りかかってくるとは思いもしなかった。2次試験を、約2週間後に控えていた時だった。

東京都教採2次②

当時私は、ある都立高等学校に育休代替として採用され半年と少し。前年の不合格で、2015年4月から1年勤めた中学校での期限付き任用枠での特例選考枠を使いきり、新制度下での社会人特例選考を、予選会(=1次試験)から受け直した年だった。

その2年前、旧試験制度、すなわち論作文試験と適性検査のみで受けられた社会人特例選考のラストチャンスも2次試験で惨敗したため、今回の社会人特例選考は教職教養、専門教養、論作文、適性検査。まさに1次フルコースでの受験だったため、合格は厳しいかもしれないという覚悟で臨んだ。その1年前もそうだったが、その時は期限付き任用実績が使える枠での受験だったので、教職教養のみ免除されていた。それでも、私の中ではかなり厳しいと思われたが、昨今の教員志願者の減少に助けられて、奇跡的に予選会を勝ち上がることができた。

2年前の試験では、論作文はもはや、練習なしでも一発勝負で合格論文が書けるほどになっていて、私にとっての関門は教職教養で問われる細かな知識と、時間との戦いとなる専門教養のほうだった。

私の記憶では、この年の自己採点は、両方で計200点満点のうち、何と2つ合わせて半分の100点ちょうど。しかし、その前年の試験で、100点中40点に届くかどうかという点数で1次を勝ち上がったという事実があったので、ひょっとして行けるのではないかとややたかをくくって待っていたら、本当にそのとおりになった。

しかし、予選会を突破したくらいで喜んでいる暇はない。本当の勝負は2次試験なのだから。そう思って、2次に向けて動き始めた矢先の、8月中旬だった・・・