他所から本拠を見る
国語の教員として2年が過ぎようとしているが、それ以前のキャリアといえば、出身大学の専攻も英文法論、やってきたことも英語の教員(いや、厳密には会社勤めがもっと長いが…)である。だからということではないが、やはり私は英語が好きなのだろう。封印していたものが、ここへきて隙間から溢れる光のように、自分の中で沸き上がってくる感覚がある。
私が英語から国語へ転向をはかったのには様々な理由があるが、結果論として言うと、国語という他所から、英語という本拠をみたことで、英語力の伸長に国語力が作用することが分かったし、国語にも、英語的要素を使って授業を行うと効果がある場合もある。
英語科の教員にありがちなことだが、国語や社会などの他の文系教科に比べ、日本語のボキャブラリーが乏しい。英語を生業としているのだから無理からぬといえばそうかもしれないが、国語的見地から英語を見ると、手に取るようにそれがわかる。
中学から先の中等教育、高等教育は、衆知のとおり完全分業で授業が行われる。しかし、近年は教科間の連携という形で、他教科同士の教員が手を組んだ取り組みを、積極的に進めようとする流れがある。それまで私は、そのような取り組みを、机上の理想の一つとしてしかとらえていなかった。だが、英語、国語両教科の現場を経験したことで、それは実際に可能であろうということが、かなりリアルな絵として浮かぶようになった。
あらためて国語の免許を取った意味は、実はこんなところでその姿を現してきたのかもしれない。