日大通信雑記

教員免許の取得のため、日本大学通信教育部(日大通信)の門を初めて叩いたのは2009年の春だった。それから4年ほど経った2013年の10月から、私は再び日大通信に学んだ。

本ブログでは、主に2013年からの学習の記録、思ったこと、感じたことを綴ります。けっこう自分勝手なことも書きますが、何とぞご容赦くださいませ。

卒論は書くべきか?~意外な所で役立つかも?!

日大通信では、現在は文理学部のみ卒論必修、それ以外は選択科目になっている。私は教職課程しか履修しなかったため、日大で卒論は書いていない。名古屋の大学に在学時は卒論は選択制だったが、あえて卒論有りのコースを選んだ。


今だから言えるお恥ずかしい話だが、元々実力不相応な大学に入ってしまったためか、初めのうちは大学の勉強についていけず、2年生に上がった時、1年生の再履修分で時間割が埋め尽くされそうな勢いだったのを思い出す。


しかし、4年生になり、浪人までして入った大学で、そこで学んだという証しを何か残したいと考えるようになっていた。成績は良くはなかったが、決して手を抜いていたわけではない。語学の名門大というだけあって、とにかく勉強が難しかったのである。だが、卒論はある程度自分のペースでできると思ったので、卒論を選択することにした。


卒論は、英語論文の様式で、A4サイズの用紙に30ページ前後。特に書きはじめの頃は、白地に黒の文字が、先生が添削した赤のインクで塗り潰されるような状態。それまでの3年間で、英語をみっちり学んできたはずなのに、まるで高校生の宿題のようだった。内容的な問題もあろうが、論文体の英文を書くこと自体も難しく、文法的に正しくても、表現の仕方が間違っていると指摘されたこともよくあった。しかし、それらを何度も何度も繰り返すうち、だんだん論文らしくなってくるもので、1月の口頭試問の時期にはほぼ完成形になっていた。


結果的に卒論に取り組んだことが、私のライディング力を格段に向上させることとなったのである。そしてそれは同時に、教員として教育現場でも生きるものとなったのである。


また、教採の面接でも、卒論を書いたという事実によって、話がしやすくなるというメリットも出てくる。特に、高校志望の受験者にとっては、その教科の専門性があるかないかということを見られていることも多い。


このブログをご覧いただいている方の多くは文理学部の方であろうから、卒論は必修となるが、例えば英文学専攻の方なら、文学研究よりも言語学の方が英語の教員としては経験上強い。国語の教員ならば、言語学よりも、むしろ古典文学、例えば源氏物語など学校の教科書にも取り上げられる作品を研究している方が、授業に厚みが増す。私が今年度、高校国語科を初めて経験してみて、そのことは痛切に感じた。これから教採を目指す方はぜひ参考にされたいところである。

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