日大通信雑記

教員免許の取得のため、日本大学通信教育部(日大通信)の門を初めて叩いたのは2009年の春だった。それから4年ほど経った2013年の10月から、私は再び日大通信に学んだ。

本ブログでは、主に2013年からの学習の記録、思ったこと、感じたことを綴ります。けっこう自分勝手なことも書きますが、何とぞご容赦くださいませ。

市ヶ谷キャンパス

本来なら9月中に退学願を出さなければならなかった話ではあるので、遅いことにはこちらとしても文句は言えないのだが、まもなく11月も終わろうとしている中、大学からの退学許可なるものが未だ届かない。


かといって何か支障があるというわけではないが、落ち着かないと言えば落ち着かないものである。


以前、英語の免許を取得した時にも同じように退学の手続きを取った経験があるが、円満退学とはいえ大学を辞めるというのは複雑な気持ちも少しはある。


あくまで必要な資格のために必要な単位を取るだけ、という割り切り方ができる人はあまり感傷的な気持ちになることは少ないかもしれないが、私はなかなか器用にはできない。


ただ、唯一の救いは、市ヶ谷移転後の日大通信キャンパスに、さほどの思い入れがわかないという点だろうか。


今の時代、建物は基本的にドライ化が進んでいる。そんな時代を反映してか、実に現代的なのが今の市ヶ谷キャンパスだが、水道橋時代を知る者としては、あの少々窮屈な、いかにも勤労学生が仕事帰りに立ち寄るような雰囲気の校舎が水道橋キャンパスだった。


夏のスクーリング時は通信の校舎だけだはまかないきれず、周辺の法学部や経済学部などの校舎を使って授業が行われていたところを考えると、授業を一つの校舎に集約するための移転…私はてっきりそう思っていたのだが、市ヶ谷新キャンパスのキャパは、はっきり言って水道橋キャンパスのそれとたいして変わらない。いや、それどころか教室の数で言えばさらに狭くなった感さえある。


実際、今夏のスクーリング時は昨年までと同様に水道橋の法学部校舎が使われた。その間、市ヶ谷キャンパスは全日閉鎖され、教務課などの事務部門は旧校舎にサテライト窓口を作るという状態。


そんなことなら今までのままでよかったのではないか。こう言っては申し訳ないが、たいした合格率もあげていない司法試験のための法科大学院など、それこそ法学部校舎内に併設したほうが経済効率も良かったはずだ。


少子化の時代、通信や夜学などの隙間産業的な部門は、より隅っこに追いやられる。理屈としてはわかる。だが、日大通信の場合、あのおしゃれな市ヶ谷キャンパスは、誇大広告のメインタワーとしての役割しか果たしていないような気がしてならない。


これからの大学運営のビジョンとして、学生減少に歯止めをかけるべく、通信教育部のイメージアップを図りたいという意図はあるのだろうが、水道橋キャンパスのような立派な図書館もなく、少し歩けば神保町のような古書店街もない、それこそビジネスの街では、見た目のイメージだけ良くてもすぐに飽きる。


熱しやすく冷めやすい今の若い世代の傾向に、驚くほどマッチしてしまった今のキャンパスでは、勉学に勤しむ環境としては疑問符がつく。


学生のことを第一に考えるならば、もっとやり方があったのではないか。そう思えてならない。

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