日大通信雑記

教員免許の取得のため、日本大学通信教育部(日大通信)の門を初めて叩いたのは2009年の春だった。それから4年ほど経った2013年の10月から、私は再び日大通信に学んだ。

本ブログでは、主に2013年からの学習の記録、思ったこと、感じたことを綴ります。けっこう自分勝手なことも書きますが、何とぞご容赦くださいませ。

教師の志望動機とは

某公立校の育休代替をしていたYさんが、毎日のように愚痴の電話を私にかけてきていた時、「東京は中高一括採用だから、中高別採用のK県を受けようと思う」という話をしてきたことがあった。理由は、「高校に行きたいので、K県なら受かれば高校に行けるから」だそうだ。

だが、そんな理由を面接で話して、志望動機として認められるはずはない。にもかかわらず、いつものごとくまるですでに合格したかのように自信たっぷりに話を続けるので、「受けるのはいいけど、その前にK県の教員になりたい理由は何なの?」と聞くと、

Y「・・・」

返答がない。

私「それ、ちゃんと言えなかったら無理だろ?」

Y「・・・」

私「自分にとって郷里でもないし、居住地でもない。そういうところを受けるのに、志望理由なしじゃ絶対無理だと思うけど」

Y「・・・理由は、ありますよ」

私「だから、理由は何?中高別採用だから受けましたなんて、まったく理由にならんよ?」

Y「・・・それは、個人情報なので」

ここまで聞いて、失礼ながらYさんは今年も受からないだろう、と確信した。一方的に相談だと電話してきておいて、言いたくないことは適当にごまかそうとしていることにイラっとしたこともあるが、それ以上に、言葉の使い方を知らない国語の先生に、合格の見込みはいくらなんでも見出だせない。

そもそも、志望理由を「個人情報」だと言っている時点で、論理的に破綻している。個人情報にはうるさい昨今。公立学校の面接では、民間企業以上に慎重に扱われるのが個人情報。面接の冒頭で必ず聞かれると言ってもいい志望理由が個人情報ならば、面接官は受験者に聞くことができない。と同時に、面接官は一体何を聞けばいいのだろうというレベルである。

個人情報という、響きの重そうな言葉を出せば逃げられる、相手を黙らせられると思い込んでいる段階で、語彙力に難ありと言わざるを得ない。そしてそんな乏しい語彙力で、高校生の前に立って国語を教える。いや、代替教員とはいえすでに高校生に国語を教えているという現実。よくよく考えれば恐ろしいことである。

では、志望動機とは何か。就活を始める多くの大学生が、まずこれを作り上げるのに苦労する。以前、Y先生にこれを聞いたとき、「生徒の喜ぶ顔が見たいから」だと、自信たっぷりに言っていたが、そんな答えを口にしたら、「それは、動機ですか?」と、面接官に怪訝な顔をされることは間違いないだろう(笑)

志望動機とは、自分の願望ではない。相手が求めているもの、すなわち企業、学校、教育委員会が求めている人材像にいかに合致しているか、をアピールするための入り口と捉えなければならないと、私は考えている。それを確たるものに仕上げるために、企業や教育目標などを調べ、知識として頭に入れるのである。

このようなことを無視して、誰かが喜ぶ顔が見たい、幸せにしてあげたいなどと美辞麗句を並べているうちは、志望動機とはなり得ない。すなわち、受からないということである。

日大をめぐる問題と、日大通信

日大アメリカンフットボール部の不祥事に端を発し、一連の問題をめぐる大学側の対応のまずさに批判が集中している。もはや一部活動の問題を超えて、来年度の入学希望者減の危惧さえ囁かれる事態にまで発展している。通信の場合は後期入学の募集が秋にあるので、通学制課程に先んじて懸念事項に直面する可能性もある。

ただ、事実として言えるのは、仕事をしながら単位を取る、特に大卒者が免許取得のために通うには重宝する存在であるということである。

私が最初に日大通信に通ったのは、英語科の免許を取るために3年次編入した、2009年4月であった。もともと出身大学が英語教育に力を入れている大学で、厳しい授業には耐性がついていたためか、日大通信の英語はかなり楽に感じたものだった。一方で、社会人が仕事の負担を抱えながら学ぶには、ちょうど良い感覚があった。

しかし、楽だったというのは結果論であり、入学にあたって決め手になったのは、電車一本で行ける通いやすさと、何より授業料の安さだった。

当時、日本の通信制大学で英語の教員免許が取得できるのは日大の他、聖徳大学(千葉県松戸市)、佛教大学(以下佛大、京都市)の3校だった。聖徳、佛大が、2年間で最低40万円近くかかるのに対し、日大は30万円弱。スクーリング等の諸経費を除けば、1年あたり10万円程度と、かなり良心的な学費設定だったのが大きかった。

そして、4年後の2013年秋に、今度は国語の免許取得のために再び日大通信の門をくぐったわけだが、国語の免許が取れる通信制大学ならば、日大の他にも東洋大学、法政大学など、都内だけでも選択肢は他にもあった。どうせ通うなら、未知の大学に行くのも面白いかもしれないとも考えたが、過去の経験で、勝手知ったる日大のほうが馴染みやすいという判断で、2度目の日大生となった。

少子化の時代に入って久しい昨今、かつて勤労学生の貴重な受け皿として役割を担ってきた通信制、夜間定時制などの高等教育課程は、軒並み廃止、縮小の流れが止まらない。最近では早稲田大学の第二文学部、青山学院大学の文学部二部、経済学部二部の募集停止に続き、東洋大学も、通信制課程の募集を停止するに至った。

そのような中にあって、通信教育部として独自に校舎を構え、老若男女広く受け入れる日大通信のスタンスは、現代では忘れ去られた感のある、生涯学習へのすすめを標榜している気がして、個人的に好感の持てるものだった。

今、市ヶ谷の通信教育部校舎に隣接する、日大本部の中は泥沼化している。世間の猛烈な批判を浴び、ある記者が発した「日大のブランド」なる表現が波紋を呼び、ネットユーザー達が過剰に反応して、あることないことを書きたてている。

私は日大をブランドイメージで見たことはない。だが、強いて言うなら、先述のように時代に逆行することになろうと、学ぶ意欲のある者を広く受け入れる寛容さが、日大通信のよさであり、それがブランドというより日大通信のアイデンティティではないかと思うのである。

私が出生するよりも前に起きた、使途不明金発覚に端を発した1968年の日大闘争。この時、日大の経営陣は世間の非難の目にさらされた。それから50年の時を経て、きっかけは違えど、再び不誠実な対応がもとで今の事態に至っている。過去の失敗から何かを学び、生かすのは学問の基本であり、学術研究の礎としなければならないことである。

日大がブランドかどうかなど、本来はどうでもいい。広く大衆に開かれた大学であるならば、非は非として認め、下手な小細工や言い訳をせず、懐の大きなところを見せてほしいものである。

日大通信懐古

所用を済ませた帰り、神保町で乗り換えだったので、途中下車して夕食をとり、散歩がてら水道橋まで歩いた。

やはり私にとっては、水道橋といえば日大通信。三崎町キャンパスと呼ばれる、水道橋駅近くのキャンパスで、英文、国文あわせて4年間のうち、3年間を過ごした。写真の校舎は、旧通信教育部1号館(現在は法学部14号館)。

市ヶ谷に移転して3年以上が過ぎたが、私の中にある日大通信といえば、今も水道橋・三崎町キャンパス。私と同時期に在籍した人なら、私と同じ感覚を持っている方は多いのではないかと思う。


通信制課程としては、日本でも有数の長い歴史を持つだけに、旧校舎は建物自体も、いかにも昭和の佇まい。学校の校舎も現代的なおしゃれなものが増えている中、巨大ビル群の狭間、隙間家具のようにポツンと建つ通信教育部に、妙な愛着があった。


今風な大学生というより、会社帰りのサラリーマンや、育児の合間を縫って勉学に勤しむ主婦が、この狭い入り口に妙に似合っていた。入り口も狭ければ、廊下も教室も狭い。周辺の雑居ビルの一室の方がまだ広いのではないかと思えるほど、大学の教室らしかぬ狭隘さであったが、来るもの拒まずという雰囲気、それはあの建物だから出ていたのかもしれない。


社会人としてのスキルアップを図りたい。教員免許をとり、学校で働きたい。多くの勤労学生の思いが、マンモス大学らしかぬ小さな小さな建物に、今でも詰まっている気がする。