日大通信雑記

教員免許の取得のため、日本大学通信教育部(日大通信)の門を初めて叩いたのは2009年の春だった。それから4年ほど経った2013年の10月から、私は再び日大通信に学んだ。

本ブログでは、主に2013年からの学習の記録、思ったこと、感じたことを綴ります。けっこう自分勝手なことも書きますが、何とぞご容赦くださいませ。

日大通信懐古

所用を済ませた帰り、神保町で乗り換えだったので、途中下車して夕食をとり、散歩がてら水道橋まで歩いた。

やはり私にとっては、水道橋といえば日大通信。三崎町キャンパスと呼ばれる、水道橋駅近くのキャンパスで、英文、国文あわせて4年間のうち、3年間を過ごした。写真の校舎は、旧通信教育部1号館(現在は法学部14号館)。

市ヶ谷に移転して3年以上が過ぎたが、私の中にある日大通信といえば、今も水道橋・三崎町キャンパス。私と同時期に在籍した人なら、私と同じ感覚を持っている方は多いのではないかと思う。


通信制課程としては、日本でも有数の長い歴史を持つだけに、旧校舎は建物自体も、いかにも昭和の佇まい。学校の校舎も現代的なおしゃれなものが増えている中、巨大ビル群の狭間、隙間家具のようにポツンと建つ通信教育部に、妙な愛着があった。


今風な大学生というより、会社帰りのサラリーマンや、育児の合間を縫って勉学に勤しむ主婦が、この狭い入り口に妙に似合っていた。入り口も狭ければ、廊下も教室も狭い。周辺の雑居ビルの一室の方がまだ広いのではないかと思えるほど、大学の教室らしかぬ狭隘さであったが、来るもの拒まずという雰囲気、それはあの建物だから出ていたのかもしれない。


社会人としてのスキルアップを図りたい。教員免許をとり、学校で働きたい。多くの勤労学生の思いが、マンモス大学らしかぬ小さな小さな建物に、今でも詰まっている気がする。

×

非ログインユーザーとして返信する