日大通信雑記

教員免許の取得のため、日本大学通信教育部(日大通信)の門を初めて叩いたのは2009年の春だった。それから4年ほど経った2013年の10月から、私は再び日大通信に学んだ。

本ブログでは、主に2013年からの学習の記録、思ったこと、感じたことを綴ります。けっこう自分勝手なことも書きますが、何とぞご容赦くださいませ。

日大をめぐる問題と、日大通信

日大アメリカンフットボール部の不祥事に端を発し、一連の問題をめぐる大学側の対応のまずさに批判が集中している。もはや一部活動の問題を超えて、来年度の入学希望者減の危惧さえ囁かれる事態にまで発展している。通信の場合は後期入学の募集が秋にあるので、通学制課程に先んじて懸念事項に直面する可能性もある。

ただ、事実として言えるのは、仕事をしながら単位を取る、特に大卒者が免許取得のために通うには重宝する存在であるということである。

私が最初に日大通信に通ったのは、英語科の免許を取るために3年次編入した、2009年4月であった。もともと出身大学が英語教育に力を入れている大学で、厳しい授業には耐性がついていたためか、日大通信の英語はかなり楽に感じたものだった。一方で、社会人が仕事の負担を抱えながら学ぶには、ちょうど良い感覚があった。

しかし、楽だったというのは結果論であり、入学にあたって決め手になったのは、電車一本で行ける通いやすさと、何より授業料の安さだった。

当時、日本の通信制大学で英語の教員免許が取得できるのは日大の他、聖徳大学(千葉県松戸市)、佛教大学(以下佛大、京都市)の3校だった。聖徳、佛大が、2年間で最低40万円近くかかるのに対し、日大は30万円弱。スクーリング等の諸経費を除けば、1年あたり10万円程度と、かなり良心的な学費設定だったのが大きかった。

そして、4年後の2013年秋に、今度は国語の免許取得のために再び日大通信の門をくぐったわけだが、国語の免許が取れる通信制大学ならば、日大の他にも東洋大学、法政大学など、都内だけでも選択肢は他にもあった。どうせ通うなら、未知の大学に行くのも面白いかもしれないとも考えたが、過去の経験で、勝手知ったる日大のほうが馴染みやすいという判断で、2度目の日大生となった。

少子化の時代に入って久しい昨今、かつて勤労学生の貴重な受け皿として役割を担ってきた通信制、夜間定時制などの高等教育課程は、軒並み廃止、縮小の流れが止まらない。最近では早稲田大学の第二文学部、青山学院大学の文学部二部、経済学部二部の募集停止に続き、東洋大学も、通信制課程の募集を停止するに至った。

そのような中にあって、通信教育部として独自に校舎を構え、老若男女広く受け入れる日大通信のスタンスは、現代では忘れ去られた感のある、生涯学習へのすすめを標榜している気がして、個人的に好感の持てるものだった。

今、市ヶ谷の通信教育部校舎に隣接する、日大本部の中は泥沼化している。世間の猛烈な批判を浴び、ある記者が発した「日大のブランド」なる表現が波紋を呼び、ネットユーザー達が過剰に反応して、あることないことを書きたてている。

私は日大をブランドイメージで見たことはない。だが、強いて言うなら、先述のように時代に逆行することになろうと、学ぶ意欲のある者を広く受け入れる寛容さが、日大通信のよさであり、それがブランドというより日大通信のアイデンティティではないかと思うのである。

私が出生するよりも前に起きた、使途不明金発覚に端を発した1968年の日大闘争。この時、日大の経営陣は世間の非難の目にさらされた。それから50年の時を経て、きっかけは違えど、再び不誠実な対応がもとで今の事態に至っている。過去の失敗から何かを学び、生かすのは学問の基本であり、学術研究の礎としなければならないことである。

日大がブランドかどうかなど、本来はどうでもいい。広く大衆に開かれた大学であるならば、非は非として認め、下手な小細工や言い訳をせず、懐の大きなところを見せてほしいものである。

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