日大通信雑記

教員免許の取得のため、日本大学通信教育部(日大通信)の門を初めて叩いたのは2009年の春だった。それから4年ほど経った2013年の10月から、私は再び日大通信に学んだ。

本ブログでは、主に2013年からの学習の記録、思ったこと、感じたことを綴ります。けっこう自分勝手なことも書きますが、何とぞご容赦くださいませ。

やっと受かったが・・・

いつの間にか2年以上もブランクを作ってしまったこのブログ。もともとは日大通信での単位取得と、教採とを絡めつつ書くのがコンセプトであったが、日大通信での単位取得を終えてからすでに6年。話題は大学での話から、ほぼ教採のみへと移行するべき段階にとっくに入っているはずだが、如何せん、なかなか試験に受からなかった。

そこでまずは、教員採用試験というものに挑戦を始めてからの結果を遡って書き出してみる。(私立はのぞく)

〈英語〉

2010年(11年採用)

名古屋1次×

川崎1次×

2011(12)

名古屋1次×

東京1次×

2012(13)

名古屋1次×

東京1次×

1次試験にすら全く歯が立たず。思い切って仕事を辞め、予備校に通い勉強に集中することに。

2013(14)

愛知1次×

東京1次◯  2次×

腰を据えて勉強した成果で、ようやく東京の1次を通過。論文のみの社会人特例選考であったことも大きかった。しかし、2次では惨敗、次年度から国語へ転向しようと考えるようになったのもこの時から。

〈国語〉

2014(15)

三重1次×

東京1次◯ 2次 期限付

正確に言えば期限付とは、不合格者の中から比較的「マシ」な者を選んで、必要に応じて配置するという東京都独自の制度である。

だが、この頃の私はそんなことまで考えるほど冷静にはなれず、半分合格した気分になってしまった。これが運命の分かれ道となった。

では次の記事で、このことについて掘り下げて書いてみたいと思う。

×

非ログインユーザーとして返信する