日大通信雑記

教員免許の取得のため、日本大学通信教育部(日大通信)の門を初めて叩いたのは2009年の春だった。それから4年ほど経った2013年の10月から、私は再び日大通信に学んだ。

本ブログでは、主に2013年からの学習の記録、思ったこと、感じたことを綴ります。けっこう自分勝手なことも書きますが、何とぞご容赦くださいませ。

スクーリング懐古その1~英文学専攻編

日大通信はスクーリングの種類が多く、私自身もスクーリングは何かと利用した。どのスクーリングにもそれぞれの思い出があるが、やはり、日大通信の中では最大のイベントと言って良いであろう夏期スクーリングが近づいてくると、当時の情景が色濃く蘇ってくる。

私が初めて出たスクーリングは2009年の夏期スクーリングだった。当時はまだ午前、午後で2科目に分かれており、休みが取りづらいと社会人学生には不評だった(2011年夏より、現行の時程に変わったようである。)

その年の秋には、初めて夜間スクーリングを受講。翌年の教育実習に行くために、必死で単位を取っていた時期である。この時の夜スクは週3コマ。後にも先にも、一期あたりの受講数としては最多のものだったが、おかげで友人だけでなく、先生と飲みに行くほどの濃い関係性もできた。

翌春の、教育実習直前のGW中に、春期東京スクーリングを受けた。この時に受講した英米文学概説をもって、英語科における教科に関する科目はすべて出そろった。(もっとも、出身大学でも英文科だったので、教科に関する科目で足りていないのは実質2科目だけだったのだが。)

その後、夏スク1科目受講を経て、最後に受けたのは同年秋の夜スク、教育カウンセリング論。これをもって、免許取得に必要な単位をすべて取り終えた。この頃になると、前年度はたくさんいた仲間たちもめっきり少なくなり、少し寂しさを覚えた記憶がある。

とにかく英語科の免許を取る人は多い。というのも、通信で英語科が取れるのは当時、全国でも3校のみ。さらに都内に限ると日大のみだったので、学生が集中する傾向が顕著だったのかもしれない。

その後、私自身も含め何らかの形で教員となった人は多いが、この頃が、ある意味教員としての理想を最も意識していた時期だったかもしれない。

英語なら他の学生に簡単には負けない、という気持ちもあったし、それだけの努力をしてきたという自負もあった。国語科への転向をはかる3年前のことであった。

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